2019/1/21及び2019/1/28開催 平成30年度第5回及び6回教養教育センター講座「学問・言語・開発]

平成30年度第5回及び6回教養教育センター講座
「学問・言語・開発」を開催

 去る121日と28日、「学問・言語・開発」と題した連続講演会が行われました。講師は21日の一回目がグアテマラからの留学生のルイス・アルファロ先生(国際流域研究センター・坂本研究室所属・博士課程3年・本学非常勤講師)、28日の二回目が木村秀雄先生(東京大学名誉教授・本学非常勤講師)でした。お二人とも、言葉を学ぶこと、そして学問をすることにどのような意味があるのか、を中心にお話をして下さいました。

 

 ルイス先生はスペイン語が母国語ですが、今回の講演は全て日本語で話して下さいました。大学で土木工学を学ぶかたわら、日本語を習っていたことがきっかけの一つとなって、日本政府の奨学金の試験という狭き門を通過して山梨大学にやってきましたが、留学試験の面接では、日本に来て専門の研究だけでなく、日本という新しい文化からたくさんのことを学びたい、と発言したのが評価されたのかも、というエピソードにはじまり、日本に来てからの大学での授業(修士課程の授業は日本語オンリーだったそうです!)や、甲府の町でのさまざまな出会いの思い出を、自分でとった写真を背景にしたスライドを見せながら、語って下さいました。学生の皆さんにも大いに共感したのが、「僕の日本語も完璧じゃないけど、こうして皆さんにスピーチをしている。間違いを気にしなくていいから、とにかく言葉を使って、話しかけてみよう。」とのメッセージでした。

 そして、ルイスさんはもうすぐ博士課程を卒業してグアテマラに帰りますが、「帰国したらここで学んだ知識を生かして、グアテマラの社会に貢献するような仕事がしたい」というとても力強いことばで、お話を締めくくりました。質疑応答では、外国語を学ぶときのアドバイスなどに加え、「好きなマンガはなんですか?」といった質問も飛びだし、和気あいあいとした講演会となりました。


 2回目の木村先生のご講演は、学問とは何か、というお話から始まりました。いわく、「学問とは「世界」と「私」が繋がるための道具」である、との定義です。人と人とは、同じ場所にいても考えていることが違うけれど、そしてまた、音楽などを通じて、感覚を共有することで、つながることもできるけれど、自分が考えたことを抽象化して、人にもわかってもらえるように語り、そして世界と自分をつなげることができる、それが学問の本質的な意味なのだ、という説明で、おそらく学生の皆さんにとって、考えたこともなかった、というようなお話だったのではないかと思います。これに加えて、言語と行動の両方に関連することですが、人がやることには、無意識の動作と意識して考えて行う動作の両方があり、外国語が自然に話せる、というのは無意識の動作ということであり、その言語の勉強という、意識して行わなければならない動作とは、異質のもので、その辺りが外国語の勉強は難しいのだ、というお話が続きました。

 「開発」ということについては、非常に謙虚に、現状より何かが、社会や個人が、よくなること、という定義がふさわしく、先進国と途上国、という上から目線であってはならないのだ、というお話をされました。また、国際社会での活躍、ということがよく言われる中、グローバル化というのは国と国の境がない社会なのだから、日本にいても海外に出ても、どちらの社会でも貢献できるような実力を、学生のうちから少しずつ蓄えていくのがいいのでは、というアドバイスで話を締めくくられました。

 途中、長年フィールドワークをされてきた、アマゾン川流域でのお話——幻覚剤の使用法(同じ幻覚剤を飲むことで、その場にいる人が同じ幻覚を見て、その世界を共有するするためにある)や、シャーマンの育て方(昼間は洞窟に閉じ込め、夜活動させることで、他の人たちとは全く違う感覚を持った人間に育つ)——や、学問というのは世界をつなぐ言語であって個人の業績ではないのだから、ノーベル賞は発見者個人ではなくその成果に対して与えられるべきだ、との持論も繰り広げられました。お話を聞いて「難しかった」との感想を漏らす学生さんも多かったものの、「この講演会がなければ全く考えることがなかったような話に触れられてよかった」という学生さんの感想文がよくあらわすように、参加者にとって非常に有意義な時間となりました。

  
      講演されるルイス先生              熱心に聴講する参加者


      講演される木村先生