教養教育

「教養とは何か?」そして「教養教育とは何か?」

一見自明のようでいて、考え出すとなかなか難しい問いです。3人の教員が、それぞれに答えを考えてみました。みんなが違うことを言っている、と思われるかもしれません。でも、どこか共通している点もあるのではないでしょうか。私たち3人の考え方を参考にしつつ、皆さんご自身で、いろいろなことを勉強しながら、「教養とは何か?」という問いについても考えてもらえたら、と思っています。

進藤聡彦(2015~2016年度センター長)

教養教育とは何でしょうか。教養教育を専門教育と対置させる考え方が一般的ですが、学問は自分の専門とその他の教養というように明確に二分できるものなのでしょうか。強いて区別しようとすれば、知識・技能をその範囲の広狭と深さや習熟度という2次元の軸で捉え、特定の領域の知識・技能の深さや習熟度に焦点を当てるのが専門教育で、幅の広さに焦点を当てるのが教養教育ということになるのかもしれません。

ところが、現実世界の現象、事象は学問上の分類に合わせて都合よく生起、成立しているわけではありません。その現象、事象を理解、追究するためにはさまざまな知識が必要になることがあり、そうした場合には専門・教養という区別は曖昧にならざるを得ません。もちろん、すべての領域の知識に精通することは現実的には難しいでしょう。しかし、さまざまな学問領域の一端に触れておくことで、幅広い知識の中から必要なときに必要なものにアクセスし、役立てることができます。幅広い知識をもつことの意義の1つは、このような点にあるように思います。

このような考えの下、国際社会で活躍できる人材の育成を目指す山梨大学の目標は欲張りです。それは、幅広さの次元の教養と深さの次元の専門の知識・技能のいずれをも高度に備えた人材の養成です。その目標の実現の一端を担うべく、全学の先生方の協力の下、本センターの6名の専任教員が、全学共通教育科目を始めとする山梨大学の主に幅広さに焦点を当てた教養教育について日々考え、改善に努めています。

仲本康一郎

私は個人的には、この「教養教育センター」という名前が気に入っています。教養と言えば、色んなことを何でもよく知っていることと思われがちですが、本当に大切なのは雑多な知識ではなく、自身の専門を支える幅広い素養ではないかと思います。私の専門は言語学ですが、そもそもことばって何だろうと立ち戻って考える必要が出てきたとき、哲学、心理学、教育学、さらには数学や生物学などの知見も思わぬところで役立ちます。

日本の学校では大学受験をまえに文系と理系にわかれ、大学生になってからもそれにしばられてしまうことがあります。ただこれはとてももったいないことだと思います。私たちが生きる世界はもっと多様で、様々な問題が複雑にからみあっています。それらを解き明かすためにも、先入観にとらわれない教養――リベラル・アーツ――を身につけてほしいと願っています。物事の本質は分野を超えた自由な対話のなかでこそ見えてくるからです。

教養とはまた他者とつながる力であるといった人もいます。グローバル化する現代社会のなかで、異なる背景を持つ人たちと共生していくための能力ということでしょうか。大学生の皆さんには自身の専門分野を深めていくと同時に、異なる言語や文化にも関心を持ち、何でも見てやろうというチャレンジ精神で、じぶんとは一見関係のなさそうな領域にも手をのばし積極的につながっていってほしいと願っています。

渡辺暁

教養というのは、よくよく考えてみるとなかなか難しいことばです。英語のLiberal arts(漢字でいうと自由技芸:ギリシャ・ローマにまでさかのぼることができる考え方で、これは学んでおかなければいけないよ、という、学問の基本となるいくつかの科目のこと)の訳語と考えることもできますし、大学の制度においては、専門教育に対する一般教養(山梨大では正式には全学共通教育科目と呼ばれています)という感じにも使われています。私は某大学の教養学部というところの出身で、教養ということばにつねづね触れて来たにもかかわらず、あまりはっきりとした定義を持っているわけではありませんが、今の時点で考えていることを述べてみたいと思います。

教養のある人、という言い方があります。これを聞くとやはり、ああその人は知識がある人なんだな、という感じがするかと思います。でも、本当にそうでしょうか?もちろん知識は大事です。しかし、知識があればその内容は何でもいい、というわけではないですよね。それに、いくら知識がある人でも、その人の知らないことの方が、知っていることよりも沢山あるのが当然です。

では結局、何が教養、と呼ばれるに値する知識なのか、あるいは、教養がある人、とはどんな人なのか、ということになりますが、私は、「知らないことに出会ったときに、自分の頭で考えて対処できるだけの、考える力と、そのための裏付けとなる知識とを持っている人」というふうに考えたらいいのではないか、と思います。世の中に出ると、自分の知っていることがそのまま通用する、ということはありません。でも、学校や、そして本・テレビ・ラジオ・映画・ネットなど、様々なメディアから学んだ、ある程度の知識が自分にしっかり身についていれば、それを応用していろいろなことを考えることができるはずです。

大学では専門的な知識をつけることも大事ですが、そうした、自分で考えるための基礎となる、幅広い知識と、実際に考える力をつけることは、おそらくそれと同じくらい大切なことです。たとえば理系の皆さんであっても、語学や人文・社会科学系の科目を履修し、そうした授業をきっかけに幅広い視野を身につけること、文系の皆さんも、高校の理科よりももう少し進んだ、自然科学の考え方に触れることで、皆さんのものの見方、考え方、というのが、たぶん変化していくのではないか、と思います。

教養教育センターの一員として、授業を通して、またこのホームページや、講演会などのイベントを通して、皆さんに何かを学んでいってもらえたら、と思っています。